風化した謎の石を追って〜黒石で見つけた170年前の生き証人〜
弘前から少し足を伸ばして、隣町の黒石市を散策していた時のこと。
黒石警察署前の歩道を歩いていると、ふと奇妙な石が目に留まりました。
あまりにも風化が進んでおり、一見しただけではそれが石碑なのか、ただの岩なのかもわからないほどの違和感。表面に何かが刻まれている痕跡はありますが、文字はほぼ判別できません。
「この直線の歩道にある、不自然な石は一体何だろう?」
どうしても気になった私は、弘前市立図書館へ足を運び、郷土史の資料をめくって調べてみることにしました。すると、あの風化した謎の石の正体がはっきりとわかったのです。
それは江戸時代後期の1848年(弘化戊申年)に建てられた道しるべで、こう刻まれているそうです。
「右 青森」「左 目内澤村道」
ここで新たな疑問が浮かびました。「青森」は今の県都であり、当時も海へ抜ける重要な港町として誰もが知る場所です。では、もう一方の「目内澤(めないさわ)」とは、なぜ青森と並んで案内されるほど重要な目的地だったのでしょうか。
さらに資料を読み解くと、現在の黒石市上目内澤・下目内澤にあたるこの地域は、藩政時代、単なる一つの集落ではなく、黒石から津軽の北部一帯(常盤や本郷方面)へと抜ける「交通の要衝」だったことがわかりました。人や物資の往来が激しい、ネットワークのハブとして機能していたのです。
現代の真っ直ぐな歩道にポツンと取り残され、行き先も読めなくなってしまった謎の石。
しかしその正体は、わらじを履いた人々が行き交っていた170年前の活気ある津軽の情景を、今もひっそりと語り継いでくれる貴重な生き証人でした。
【出典・参考文献】
「津軽の石仏等調査報告書」弘前市立博物館編集
「黒石市史 資料編 1 (寺社・金石文)」黒石市編集
「上目内澤「延命地蔵尊」の由緒書き石碑 」黒石市上目内澤
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