私の土手町シリーズ⑨ 祖母と母の土手町
昭和50年代、母が幼い頃の話である。母はぜんそくの治療のため、木造町(現在のつがる市)から弘前大学病院に祖母と一緒に通っていた。汽車とバスを乗り継いで行ったという。病院からの帰り道は、土手町にあった食堂でラーメンをよく食べたと母は思い出す。頬杖をつきながら、他の客の注文した料理をじっと見ていたので「恥ずかしいからやめなさい」と祖母に叱られていたらしい。
祖母によると、母が服を汚したときは衣料品店で着替えを買ったし、物欲しそうに店先を見ていた母におもちゃを買ってやったこともあったという。
弘前駅から弘前さくらまつりが開催されている弘前公園へ行く時にも、土手町を通った。ハトを追いかける姿がほほえましく映ったのか、外国人のお兄さんが母の写真を撮っていたこともあったという。
あの頃は今ほど物価が高くなく、祖父から受け取った3000円で汽車賃、診療費、食事代をなんとかやりくりできた。今では往復の交通費だけでなくなってしまいそうだ。
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