わたしの土手町シリーズ⑧ 工藤パンで昼食を。
人生で最初の洋食屋、レストランの記憶と言えば土手町の「工藤パン」だ。僕にとって「工藤パン」はレストランの店名でしかなかった。
「工藤パン」は、いつも母と二人で通った。父も含めた親子3人で入った記憶はない。父が働いている土曜日に出かけていたのだろう。自宅と土手町の往復が自動車ではなく弘南バスで、停車ボタンを押すことに興奮した記憶もセットになっているから、おそらく間違いない。
階段を上がり、ガラス張りの2階の店舗から土手町の風景を見下ろしながら食べる経験は、昭和の小さい子どもだった僕にとって、とても刺激的だった。
そして、覚えているのは、時代を感じさせる母のパーマ姿と、母が必ず注文していたオムライスの黄色と赤の色彩。自分が何を食べたかは、一切記憶にない。
本当は、僕もオムライスが良かったんだ。
でも、母に食べさせたかった。
「工藤パン」でオムライスをおいしそうに食べる母を見ているのが、好きだったんだ。
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