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弘前・相馬地区ミステリー第3弾~相馬地区に伝わるメノコ伝説とは~

地域おこし協力隊の活動をしているなかで、相馬地区に「メノコ伝説」が残っているということを知りました。
メノコ…?なんだそれは。
気になったので詳しく調べてみました。

▲メノコ伝説のキーとなる場所

 

◆メノコ伝説とは

話は平安時代にさかのぼります。
大同2(807)年、奥羽の蝦夷(えみし)が反乱をおこして住民を困らせていたので、平城天皇は坂上田村麻呂に命じて東北各地の蝦夷を討たせることにしました。

坂上田村麻呂は着々と各地の蝦夷を討伐し、津軽地方に入りました。そして浪岡方面の蝦夷、阿蘇部の森(あそべのもり)の蝦夷、白神岳の蝦夷を平定していきました。
その勢いで津軽全域を平定しようとしたものの、相馬山に住む頑強な蝦夷に苦戦します。坂上田村麻呂が苦戦した蝦夷の首領(しゅりょう)は女性で、メノコと呼ばれていました。

このメノコ率いる蝦夷と坂上田村麻呂の戦いの過程とその後に起きた出来事が「メノコ伝説」として伝わっているみたいなのです。

 

◆メノコvs坂上田村麻呂

相馬村誌によると、メノコは「目と目の間が六寸もあり、大きな顔で身の丈が一丈もあった」ようです。六寸は約18センチ、一丈は約3メートルなので、とんでもなく大きな女性です。また、メノコは特殊能力である神通力(じんつうりき)の使い手で、急に風雲を起こしたり、白光を輝かせて眼をくらませたりしたみたいです。
そんなメノコとの戦いだけあって、坂上田村麻呂はかなりの苦戦を強いられ、なかなか討ち取れません。

▲相馬地区・藤沢にある「持寄城跡(もちよせじょうあと)」は別名メノコ館という
メノコが立てこもった蝦夷の城塞(=チャシ)であったといわれている

なんとしても勝ちたい坂上田村麻呂は神仏に祈願します。すると、その夜に「メノコはクロイ滝の洞穴に潜んでいる」という神のお告げを受けます。
夜明けとともに、クロイ滝を七重に取り囲みますが、メノコは包囲網をかいくぐり逃走。坂上田村麻呂は追走し、棺森(がんもり)でメノコを討つことに成功しました。

▲メノコが潜んでいたという相馬地区・黒滝にある「クロイ滝」

 

◆討たれたメノコの厄(わざわい)

メノコvs坂上田村麻呂の戦いに決着はついたものの、話は終わりません。
討たれたメノコは棺森に埋葬しましたが、埋められたところから夜な夜な泣き声、不気味な声が聞こえたり、墓石が大きく揺れたりするなど、厄のようなことが頻発するようになります。それを見た兵士はおびえ、すっかり戦意を喪失してしまいました。
そこで、坂上田村麻呂は別の場所に再葬することを決断。遺体を現在の相馬地区・湯口に移し、「自分の首の翡翠(ひすい)の勾玉(まがたま)を奉じ、手厚く葬り、四方を石で固め、上に大石の押さえに敷石を重ね」、さらに、石戸権現と合祀(ごうし)したところ、メノコの厄は鎮まったそうです。その場所が現在の石戸神社だといわれています。

▲メノコを閉じ込めたという「石堂」
大石が何枚も重ねられている

▲相馬地区・湯口にある「石戸神社」

 

◆アイヌと相馬地区とのつながり

石戸神社の境内には、メノコの部下7人を葬ったとされる場所があります。
相馬凸凹学会の加賀新一郎代表によると、毎年6月にアイヌ民族団体がメノコと7人の部下の霊を慰めるために石戸神社にやってきて慰霊の儀式をしているそうです。

▲2023年6月、石戸神社の境内にあったもの
イナウと呼ばれるアイヌの祭具か?(写真提供:加賀新一郎)

急にアイヌというワードが出てきて困惑した読者もいると思いますが、そもそも青森県を含む北東北はアイヌ文化圏として知られています。実際、龍飛(たっぴ)や野辺地(のへじ)などの地名はアイヌ語が由来になっているといわれています。
諸説ありますが、北東北の蝦夷=アイヌであったと言っても過言ではありません。

したがって、メノコおよび部下7人を慰霊するために、北海道からアイヌ民族団体が来るのだそうです。
弘前・相馬地区とアイヌにこのようなつながりがあったなんてビックリです。

 

◆まとめ

メノコ伝説について、調べて分かったことを紹介してきました。
メノコvs坂上田村麻呂の戦いのプロセスと、討たれたメノコの厄に関することが伝説の中心でした。

注意していただきたいのですが、紹介してきた内容には事実や現実にはないだろう点がいくつもあります。

例えば、歴史の通説では坂上田村麻呂は津軽まで来ていないことになっていますし、メノコの身長が約3メートルであったとか神通力をつかえたとかいうのは現実的ではありません。メノコ伝説はあくまで伝説なのです。

それでもメノコ伝説が重要なのは、伝説として今日まで存在しているということなのです。
伝説の内容を楽しむのもいいですが、「なぜメノコ伝説が生まれたのか、なぜ言い伝えられてきたのか…」などと考えながら、地域の身近な歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

 

【参考文献】
鳴海恒男『相馬村史』津軽書房 1985年
「広報なみおか」2002年11月号
「東奥日報あおもり110山 棺森」

【協力】
相馬凸凹学会代表 加賀新一郎さん


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