群馬県太田市の夏を彩る「尾島ねぷたまつり」に行ってきました!【前編】
こんにちは!
弘前ぐらし市民ライターの黒岩です!
今年の夏は猛暑が続きましたが、やっと涼しい季節がやってきましたね。
◆尾島ねぷたまつりが開催されました!
群馬県太田市で毎年8月14、15日に開催される「尾島ねぷたまつり」は、夏の風物詩として市民に愛されている祭りです。新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止が続いていましたが、今年は4年ぶりに開催することが決定しました。
◆なぜ尾島にねぷたがあるのか
尾島ねぷたまつりがある群馬県太田市と、ねぷたの発祥地である青森県弘前市。600キロ以上も離れている群馬県になぜねぷたの文化が根付いているのでしょうか。
実は、2つの地域には深いつながりがあります。太田市の尾島地区(旧尾島町)にはかつて弘前藩の飛び地が存在していたのです。弘前藩初代藩主・津軽為信は、関ヶ原の戦いにおいて徳川側に味方し、軍勢を率いて戦いました。この功績により徳川家康から加増を受け、尾島の地域に弘前藩の飛び地ができたのです。
2006年には友好都市連携が結ばれ、現在もねぷたを通じた交流が続いています。
◆「弘前ねぷた300年祭」にも尾島ねぷたが参加!
私が初めて尾島ねぷたを見たのは、2022年に開催された「弘前ねぷた300年祭」でした。ねぷたが文献に登場してから300年という節目を迎えるにあたって、弘前ねぷたや青森ねぶたをはじめ、尾島ねぷた、しれとこ斜里ねぷたが弘前の街を練り歩きました。
ねぷたまつりが開催されているのは青森県内だけだと思っていたので、群馬県にも同様の夏祭りがあることを知ったときはとてもうれしかったのを覚えています。
「群馬県太田市」と書かれた勇壮なねぷたと、尾島町商工会青年部が中心となって結成された尾島ねぷた太鼓会のお囃子(はやし)を見て、「いつか尾島ねぷたまつりを見てみたい!」という気持ちが大きくなっていきました。
▲弘前ねぷた300年祭の様子。向かって右側が尾島ねぷたの山車
◆いざ尾島の町へ!……のはずが、まさかの開催中止に
尾島ねぷたまつりの旅は想定外な出来事が続きました。本来観光する予定だったのは14日だったのですが、台風が接近している影響で1日目の開催が中止に。
「もしかしたら15日も中止になるかもしれない…」と思った私は、ひとまず14日は友人と一緒に尾島の町を散策することにしました。
太田駅から約8キロ離れた場所に位置する尾島地区。自然が多く、趣ある町並みが広がっています。尾島までの道中は大雨に見舞われながらも、到着すると晴天の青空が!
◆尾島で「ねぷた」探し!
まず向かったのは、太田市尾島庁舎・尾島行政センター。
「太田市内でねぷたの山車が見られる場所はありませんか?」と尋ねてみると、「今なら保管庫が開いているから見られるかも!」と教えてくださいました。
頂いた案内地図を手に施設内をウロウロしていると、ねぷた、ねぶたに関する作品が!
青森県とのつながりを感じながら、私たちはねぷた保管庫を目指しました。
◆ねぷたが収容されている太田ねぷた保管庫
地図を片手に、太田市尾島庁舎・尾島行政センターからほど近い場所にある太田市ねぷた保管庫へ。
尾島ねぷたまつりでは毎年全てのねぷたを新しく作り直すわけではないため、ほとんどのねぷたは次年度まで大切に保管されます。
許可を得て中に入ると、約10台の山車、囃子で使われる太鼓などが収納されていました!弘前ねぷたまつりでは決して見ることのできない、尾島ならではの特別な光景です。
◆尾島の散策、そして祭り開催へ!
14日は残念ながら開催中止となりましたが、ゆっくりと尾島の町を散策できたことは非常に貴重な経験でした。地元の人が大切に守り続けていることや、開催の日を待ち望んでいることを知り、「来てよかった!」と心から感じました。
祭りの期待に胸を膨らませながら私は一旦長野の実家に帰省しましたが、15日、再び太田に向かうことになります。
祭りの様子は後半の記事をご覧ください!
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