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400年前に津軽に嫁いだ徳川家康の養女・満天姫

12月15日に開催されたまちあるきツアー「満天姫(まてひめ)に出会う旅」に参加してきました。満天姫とはどういう方なのかを知ることができたツアーの様子と、この旅を企画された前田優子さんを紹介します。

  ▲夕暮れ間近の長勝寺三門と本堂

<長勝寺と満天姫>

満天姫は津軽2代藩主・信枚(のぶひら)の正室となった方です。下総国関宿(現在の千葉県野田市)から弘前に嫁いだのは、慶長18年(1613年)、今から約400年前のことです。3代藩主以降の正室は武家諸法度により江戸の藩邸住まいが義務付けられていますので、嫁いでから亡くなるまでの生涯を唯一弘前城で暮らしたのが満天姫です。弘前城は慶長11年(1611年)にほぼ完成していますので、新築間もない弘前城で、時には同じ城内に暮らす初代藩主・為信の正室・仙桃院とも交流があったのではないかとのことです。

父・松平康元(徳川家康の異父弟)の生地である尾張国阿古居(現在の愛知県阿久比町)で生まれ、最初の嫁ぎ先は安芸広島、夫福島正之没後には、所領替となった父が治めていた下総国に暮らしていた満天姫。

1度目の結婚(夫・福島正之 慶長13年没)で子(直秀・のちに「大道寺」を名乗る)を設けており、津軽に嫁いだ時には、子・直秀は7歳です。電車も飛行機もない時代に、今風に言うとバツイチ子連れで再婚して嫁いだ土地の津軽は、尾張や下総からはずいぶん遠い土地に感じたことでしょうね。里帰りをすることは、あったのだろうか・・など、同じ女性として思いを馳せてしまいました。

 ▲当日は2代藩主信枚と満天姫の掛け軸が並べて掛けられていました

 ▲間近に拝見した満天姫は、若くて優しい表情の方でした

満天姫の掛け軸は、「絹本着色満天姫像」というもので、禅林街の一番奥にある長勝寺で保管されています。普段は大切に保管されていて見ることはできず、今回のツアーのために、特別に公開しました。

描かれていたお顔にはまだ幼さが残っていて、若い頃の姿のようでした。掛け軸には絵師が誰なのか、いつ描かれたのかなどの記載がないのですが、若いお顔なので「嫁ぐ時に持参された可能性もある」と、この日講師を務めた福井敏隆氏(弘前市文化財審議委員長)は話します。

 ▲講話した弘前市文化財審議委員長 福井敏隆氏

 ▲歴代藩主が訪れた際に使われていた御成座敷で講話を聞きました

長勝寺は津軽家の菩提寺であり、本堂の奥にある御位牌堂には、歴代の藩主と正室の金色の大きな御位牌が、前方中央から左右対称にずらりと並んでいました。満天姫の法号は葉縦院です。

 ▲長勝寺第43代ご住職・須藤龍哉氏が案内

 ▲御位牌堂には、歴代藩主と正室の御位牌がずらりと並んでいます

また、長勝寺には5棟の霊屋があり、この日は「明鏡台(めいきょうだい)」と呼ばれている満天姫の霊屋にもご案内いただきました。通常はお霊屋一体に入ることはできず、遠くからしか拝むことができませんが、この日は長勝寺第43代ご住職の須藤龍哉(すとうりゅうさい)氏の案内でお霊屋の扉を開け、内部に収められている石造無縫塔を前に読経される中、ツアー参加の12名が焼香をしました。満天姫が徳川家康の養女として嫁いでいることから、霊屋には葵の紋が飾られていました。内部天井に描かれている龍の絵の色鮮やかな様子も間近で見ることができました。

 ▲明鏡台で供養をしました

<弘前の魅力を引き出してくれる前田優子さん>

 ▲満天姫の掛け軸と前田さん

今回のような弘前のまちあるきツアーの企画を一手に担当したのは、元「たびすけ」社員の前田優子さん(55歳)です。前田さんがまちあるきツアーに関わるようになったきっかけは、2013年に弘前市が誘致した韓国ドラマのロケ時に、韓国語通訳として声を掛けられたことでした。まち巡りの通訳として同行しているうちに、地元弘前に面白いものがいっぱいあり、いつも見ている何気ない景色が喜ばれるのだと気づいたそうです。自分自身がもっと知りたくなり、地元の人にも紹介したくなりました。

ツアーの企画は、ご自身が興味を持ち掘り下げるところから始まります。例えば、歴史的建造物の翠明荘(2020年9月末コロナ禍に閉店)の場合、食事に行くことはあっても、自分が食事をしている部屋以外は見ることができず、「もっと建物全体を見てみたい」との思いから交渉し、「翠明荘まるごと鑑賞会」の企画に繋がりました。地元の参加者も「私も建物をまるごと見たいと思っていた」と共感したそうです。

「掘り下げて取材すると、必ずまつわるストーリーがあるんですよね」と話す前田さん。2015年から5年間で、約30本(延べ約90 回)のまちあるきツアーの企画をし、案内も担当しました。気づいたことは、街の魅力は人の魅力であること。歴史や伝統を受け継いで暮らしてきた弘前の人々から、その人しか知らない街の魅力を発見することが何度もあり、そんなお話を聞く度に、地元の人も含めた多くの人に、その魅力を知ってもらいたいとの思いが強くなると言います。

弘前はお城を中心に歩いて散策することが似合うコンパクトな街です。歩いて巡るまちあるきツアーは、地元の人も気軽に参加できて、弘前の魅力を味わえる企画がいっぱいです。ガイドブックには載っていないエピソードを求めて、参加してみることをお勧めします。

☆まちあるきをしてみたい方は、下記のサイトを覗いてみてください。

津軽まちあるきサイト https://machi-aruki.sakura.ne.jp/

旅する弘前  https://note.com/tabisuruhirosaki