身近な歴史~千年の地名になった千年山(千歳山)について
私は、子どもの頃から歴史が好きでした。
市民ライターになったら、弘前のあまり知られていない(であろう)歴史を書きたいと思っていました。
今回から「身近な歴史」というタイトルで、いくつか書いてみたいと思います。
◆千年山の話
皆さんは、千年山(ちとせやま)という山をご存じですか?
弘前にあったとされる山で、いくつかの地図を広げて千年山を探してみましたが、私には見つけることができませんでした。
弘前には千年という地名や弘南鉄道大鰐線の千年駅があります。
私は弘前市立千年小学校の卒業生ですが、小学生の頃、なぜ千年と書いて「ちとせ」と読ませるのか不思議に思っていました。
ある時、歴史が得意だった担任の先生から、
「昔、この近くに百年山(ももとせやま)・千年山(ちとせやま)という山があり、それが千年の地名の由来となった」
という話を聞いたことがあり、その話だけをなんとなく覚えていました。
それから40年以上が過ぎた2023年の夏に、友人から「失われた弘前の名勝」という1冊の本をいただきました。
江戸時代に津軽藩が藩政を記録した日記である「弘前藩庁日記」や「封内事実苑」などをもとに、かつて弘前にあった名勝を紹介している本です。
なんと、その第一章に千年山のことが掲載されていました。
それによると、元々、小栗山(こぐりやま)にあった松山という山を殿様専用の一大行楽地として造成し、千年山と名付けたそうです。
四代藩主の津軽信政公が、参勤交代の道を変更してまでわざわざ造ったものだそうで、長楽亭ほか十二亭の茶亭(茶室)があったと記述されています。
千年山の入口には、大門と橋、左右に塀が設けられていて、なかでも長楽亭は最大規模であったことが記述されており、たいそう立派な場所だったようです。
長楽亭からは岩木山が綺麗に見え、南側には土器投げ(かわらけなげ)をした崖があり、打ち上げ花火の見物もしており、津軽藩主やその家族は、度々、千年山に遊びに来ていたとのことです。
なお、百年山(ももとせやま)については、今の弘前実業高校から松原方面に向かう途中が坂道になっていますが、その辺りのようです。
「新編弘前市史」で、九代藩主津軽寧親(やすちか)の参勤の記述が以下のように解説されています。
「桝形を過ぎるとやがて三岳堂がみえ、坂の上に一里塚があり百年山(ももとせやま)に到着し、休む場所がある。ここを過ぎると松が繁っている山の中に休憩所、千年山の長楽亭(ちょうらくてい)に到着する。」
私は、小栗山の近くに住んでいることもあり、改めて千年山を探してみることにしました。
◆千年の地名について
千年の地名の由来を、「青森県地名大辞典」でまずは調べてみました。
千年村は明治22年に成立。
その役場は小栗山に設置されました。
村名は近くに築かれていた千年山が由来となり、それが現在まで生きているようです。
旧千年村の役場は、現在の弘前市立千年公民館だったようです。
子どもの頃、千年公民館で遊んだ記憶があります。
以前の千年公民館は、明治期の役所というか図書館のような雰囲気があったように思い出しますが、残念ながら確認することはできませんでした。
ここまでの調査の結果、千年山が村名の由来であることは間違いないですし、千年公民館の前の県道127号線は参勤交代の際に使用した街道、千年山街道(羽州街道)であることは間違いなさそうです。
ということは、千年山はこの辺りにあったのでしょうか???
◆千年山はどこ?
千年山があった場所まですぐ近くに来ているはずですが、なかなか確定には至りません。
「失われた弘前の名勝」にもありますが、絵図が全く残っていないというのが確定に至らない理由のようです。
どこかに、それにつながる資料はないものか?
そんなことを考えながら、小栗山神社周辺を何度も歩いてみて、ふと思い出したことがあります。
小栗山神社周辺には、縄文時代の遺跡と小栗山館(盾)という遺跡(鎌倉時代末の城館跡)があり、発掘調査をしているはずです。
もしかすると、その発掘調査報告書を見れば江戸時代の建物跡の痕跡が見つかるかもしれません。
ということで、弘前市立図書館に行ってみました。
◆あっけない結末
市立図書館には、平成25年9月から行われた小栗山館(盾)の発掘調査に関する報告書、「小栗山館遺跡発掘調査報告書」がありました。
小栗山館遺跡は、小栗山神社の北側から弘南鉄道辺りまでの地域です(下記参照)。
その報告書には、この辺りが千年山(千歳山)と呼ばれ、長楽亭をはじめとする多くの茶屋があったこと、千年公民館のあたりに大門があったと推測されるが、それを示す建物跡などの遺構は確認されていないと記載されていました。
もしかすると、地元の方や土地の管理者さんは、ずっと千年山の存在をご存じだったのかも知れません。
こうして、私が50年も前から知りたかった千年山は、あっけなく見つかってしまったのです。
◆地味だけど、知れば楽しい身近な歴史
長い間、千年山を発見したいと思っていた私でしたが、意外な形であっさり解決できてしまいました。
しかし、その調査の過程で、千年山は津軽藩主ご一家専用の豪華なレジャー施設だったことや、そのために参勤交代の道を変更したことなど、私が知らない歴史を知ることができました。
そして、大和沢川を挟んで千年山のふもとにあった場所を、千年という地名として名を残そうとしたのではないかと思いました。
身近な歴史は教科書に載るようなことではありませんが、歴史とは人がその場所に住んでいた証であるように感じます。
私たちが住んでいる場所の過去を知り、伝えることも弘前や青森を好きになる理由となればうれしく思います。
▲千年町会から、大和沢川を挟んで向こう側に見えるのが千年山の候補地
※千年山(千歳山)・小栗山館(小栗山盾)の表記について
文献にでてくる表記は、千歳山・小栗山盾という漢字表記であるため、現在の表記と併せて掲載しました。
【参考資料・文献】
田澤正著 「失われた弘前の名勝」 北方新社
「青森県地名大辞典」 角川書店
「小栗山館遺跡発掘調査報告書」平成25年度 弘前市教育委員会
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