弘前・相馬地区ミステリー第6弾~隠し金山と言われる長慶金山はあるのか~
地元の人から、藩政時代の久保田藩(別名:秋田藩)の隠し金山が相馬地区の山奥にあるという話を聞きました。
その隠し金山の名は「長慶金山(ちょうけいきんざん)」。
伝説の類いだろうと思いながらも、気になったので調べてみました。
◆長慶金山とは
古文書や伝承によると、弘前市と大館市の県境にある長慶森は、長慶金山の跡と言われています。
▲大館市との県境にある「長慶森」(地理院地図をもとに一部加工)
長慶金山は、第98代の長慶天皇が退位後に相馬地区(旧相馬村)から大館市(旧田代町)に下られて発見したと伝わり、佐竹義宣が水戸から久保田藩主に移ってきたころには早口金山と呼ばれていました。
▲長慶金山について書かれた数少ない資料
成田末五郎編『長慶金山調』より引用(弘前市立弘前図書館蔵)
その後、久保田藩の御用商人が採鉱経営をするようになりましたが、幕府から金山の譲渡を迫られます。金山を渡したくない藩は、閉山したように見せかけます。嘘が幕府にバレることを恐れた藩は、口封じのために鉱夫300人前後、監視人43人のうち久保田藩の幹部監視7人を残して全員を金山に生き埋めにした上、金山の跡も容易に見分けられないようにしたというのです。
▲長慶金山略絵図
成田末五郎編『長慶金山調』より引用(弘前市立弘前図書館蔵)
閉山と生き埋めの伝承が今もなお語り継がれ、ロマンを感じた人や企業が何度も現地調査を試みてきましたが、現在も採算が取れるような有力な鉱床は見つかっていません。
それでもなお、「久保田藩が隠した金山はどこかにあるはず」「長慶金山に大量の金が眠っているはず」と人々の歴史ロマンをかき立て続けているのです。
◆長慶森を目指してみた
長い歴史の中で多くの人が探し、見つけることができなかった長慶金山ですが、「俺ならワンチャン見つけられるかも(笑)」と思い、探してみることにしました。
金山跡は、県境にある長慶森にあるということなので行ってみました。
峰越連絡林道田代相馬線(以下「田代相馬林道」)を使って長慶森の近くまで向かいます。現在は路肩崩落のため車両の進入は禁止されています。たしかに、歩いてみると崩落や倒木などで塞がれた箇所がいくつかありました。
ちなみに、田代相馬林道の入り口に当たる相馬地区・藍内に「台所(字富田)」「関ケ平」という地名があります。これは、鉱山関係者が腹ごしらえしたり、鉱夫を監視する関所があったりしたことが由来だと言われています。
起点から5キロほど歩いたでしょうか、長慶森の麓に到着しました。
辺りを見回しましたが、坑道や建物跡などの痕跡は見つかりません。
まあ、簡単に見つけられるわけないですよね(笑)最初からわかっていました…。
長慶森の麓から山頂までをくまなく探すのは困難なので、坑道などの痕跡探しはこれにて終了としました。
◆金山があるなら砂金が見つかるはず
坑道を見つけられなくても、近くの沢から砂金を採取することができれば金山があったと言えるのではないかと思い、砂金探しに方針転換しました。
確認のため、県の河川砂防課水政グループに砂金採取をしていいか問い合わせたところ、「単発で、趣味の範囲内であれば自由使用です」ということ。
要は、長期間に及ばず、重機などを使用しない趣味の範囲内であれば無許可で採取してもいいみたいです。
なりわいとして大規模に採取する場合は許可が必要ですのでご注意ください。
▲砂利をより分ける「カッチャ」(左)と砂利や砂から砂金をより分ける「パンニング皿」(右・2つ)
長慶森から伸びる東股川(ひがしまたがわ)で砂金探しスタート!
実は、2009年に秋田県北教育事務所の高橋善之所長(当時)が、長慶森の沢(大館市)から砂金80粒近く発見し、「長慶金山は本当の金山だった」と語ったそうです。それが事実であれば、同じく長慶森から弘前市に伸びる沢にも砂金があるはずです。期待が高まります。
砂が堆積しているところや沢沿いに生える雑草の根元を中心に探しました。
探すこと15分、パンニング皿の底が一瞬キラリと輝いたように見えました。
細かい砂をさらにより分けて、よーく見ると…。
ありました。砂金です(私を含め、多くの人がイメージするような粒の大きさでないと思いますが…)。ただの砂ではありません(笑)
これを持ち帰り、分かりやすく瓶に詰め込んだのが下の写真です。
▲東股川で採取した砂金(左)、北海道ウソタンナイ川で採取した砂金(右・参考)
ごくわずかな量ですが、弘前・相馬地区で金(砂金)が採れるのは事実でした。
◆まとめ
今回の調査では、金山があった痕跡を見つけられませんでしたが、長慶森から伸びる東股川で砂金を見つけることはできました。したがって、長慶森を含めた県境周辺には金があると言えます。
金がバンバン採れるような金山があったのかどうかは分かりませんが、「久保田藩が隠した金山はどこかにあるはず」「長慶金山に大量の金が眠っているはず」という人々の歴史ロマンが残る理由は分かったような気がします。
最後に、
田代相馬林道沿いはクマの生息域です。散策する際はクマには気をつけてください。
【参考文献】
鳴海恒男『相馬村史』津軽書房 1985年
木崎和廣『羽後の伝説』第一法規出版 1976年
成田末五郎編『長慶金山調』
秋田大学.“長慶金山”.秋田の昔話・伝説・世間話~口承文芸検索システム~.
https://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_all.php(2024年6月1日最終閲覧)
【砂金採掘の助言・協力】
弘前市相馬総合支所 山内幸司さん
【地図】
出典:国土地理院ウェブサイト
(https://maps.gsi.go.jp/#15/40.480502/140.381838/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1)
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