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輪島から弘前へ、私と一緒にUターンした津軽塗

私の家には、津軽塗の座卓があります。

唐塗で朱色と緑色の漆を使い「花丸紋」のような絵柄が交互に描かれており、裏面も布着せをした上から漆を塗って仕上げた丁寧なつくりとなっています。

この座卓は、2023年5月に石川県輪島市から私と共に弘前に里帰りしてきました。

その7カ月後に、能登半島で大地震が発生するなど思ってもいませんでした…。

 

◆座卓との出会い

私は、2018年6月に当時住んでいた京都府を離れ、石川県輪島市に移住しました。

移住の理由は転職で、転職先は老舗漆器メーカー。入社後、倉庫の奥に置かれていた津軽塗の座卓を見つけました。

なぜここにあるのかを聞いたところ、輪島塗の座卓を購入したお客さまが、すでに使用していた津軽塗の座卓の処分に困ったため、引き取ったものであるとのこと。

汚れとキズがひどく、いつからその場所にあったのかも思い出せないほど以前からあったようです。

私は、その座卓が一目で気に入り、妻にも相談し、引き取ることにしました。

会社としては、自分の手で修理するようにと私の教育実習もかねていたようです。

 

◆漆の厚さを実感

修理の工程は漆器の状態によりさまざまありますが、汚れがひどい部分やキズがある部分を研ぎ出して、全体を仕上げる方法を採用しました。

研ぎ出しとは、漆の表面を薄く研ぎ落として見えていない漆を見えるようにする作業で、津軽塗の模様を出す際にも行われている工程です。

この時、同じ箇所を研ぎすぎると模様が消えることがあり、ひどい場合には木地の部分が出てきてしまいます。

しかし、今回の修理では私のような素人が作業をしても、木地が出てくるようなことはありませんでした。

座卓の修理を指導した、先輩社員でありベテランの職人さんは、津軽塗の漆の厚さに大変驚いていました。

輪島塗も漆を塗る回数は多いですが、木地を守るために塗る下地塗に使用する漆が多く、私達の目に触れる部分の漆の量は、津軽塗がはるかに多いと私は思います。

津軽塗は、模様を出すために何色もの漆を塗り重ねシンプルな美しさを見せてくれますが、同時に漆の多さから堅牢さも出している素晴らしい漆器です。

▲修理する前に、津軽塗の特徴を調べているところ

 

◆2023年5月5日の地震

座卓の修理は順調に進み、輪島塗でいう呂色(ろいろ)という作業(漆器にツヤを出す作業)で終了しました。

新品のような美しい状態に見事に蘇り、輪島市の自宅で使用しました。

普段は飾っておくだけですが、お客さまが来られた際やお正月にはその座卓で食事をしたものです。

ところが…。

その後、私に不幸が続き、急遽、輪島から弘前に引っ越しすることが決まりました。

その荷造り作業中の2023年5月5日午後に、能登半島沖を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生しました。

輪島市も震度5弱の揺れで、私は家が潰れるかもしれないと、とっさに家を飛び出したほどでした。

座卓についたこのキズは、その揺れで落ちてきたものが当たってついたものです。


▲2023年5月5日の地震でついたキズ

 

◆二つの故郷

この座卓は弘前で生まれ、輪島で修理し生まれ変わり、弘前に戻ってきました。

日本の漆器産地は、全国に約40カ所もあると聞いています。

その中で、国の重要無形文化財に指定されている漆器は、輪島塗と津軽塗のみです。

弘前と輪島の共通点は、漆器だけではありません。

珠洲市飯田で毎年夏に開催される燈籠山祭りでは、大きな人形を乗せた曳山が出ますが、地元の方は「ねぶた」と呼んでいます。

津軽弁と同じ方言も、能登にはあります。

▲珠洲市飯田「飯田燈籠山まつり」(2018年撮影)

 

能登半島は、ほとんどが山と海で、わずかに残る平地に人が住み、農作物を育てています。

素晴らしい景観と、自然と共に生きている人々がいました。

「能登はやさしや土までも」の言葉どおり、私も能登の皆さんに支えられ生活してきました。

食べ物もおいしく、本当によく接していただきました。

 

不適切な表現ですが、私と座卓は弘前に帰ってきたことで能登半島地震を免れることができました。

家族や親戚、友達などにも心配をかけずに済んだのです。しかし、一方では…。

輪島に残っていた方が、能登の皆さんと共に復興のために動くことができたはずだと、後悔している自分もいます。

お世話になった皆さんに、何とかして恩返しをしたい…。

仕事と家庭の調整をとりながら、なるべく早いタイミングで復興のお手伝いに行きたいと悶々としている毎日です。

 

私は、輪島市で5年間しか生活していません。

しかし、とても充実した時間であり、輪島は第二の故郷だと思っています。

この座卓は、私が輪島で過ごした大切な思い出と日常を共にしてきました。

津軽と輪島をつなぐ大事な宝物であると思っています。


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