弘前公園桜の昼と夜
私は昔から写真撮影が好きで、一年を通じ、被写体を求めて弘前公園に何度も足を運びます。中でも4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎える弘前公園の桜は、「日本一」とも評されるほど咲き誇ります。過去に撮影した写真に思い出を込めて、弘前公園の昼と夜の桜をご紹介します。
◆弘前公園の昼の桜
「外濠から追手門(2014.4.26撮影)」
写真は弘前公園の正面入口である追手門を、道路側から撮影したものです。入園者が多く、弘前公園の玄関となります。門の前は少し広くなっており、昔は観光客向けのカメラマンも、待機していた記憶があります。
ただそんなカメラマンは、デジタルカメラの普及と共に姿を消してしまいました。時代の流れとは言え寂しいことです。
「下乗橋から天守(2014.4.26撮影)」
ここは弘前さくらまつりの、ポスターによく登場する場所です。現在天守は石垣修理のため、曳屋(ひきや)して本丸中央部へ移動しています。写真は天守移動前のものです。
弘前公園に来た方は、必ずというぐらいここで記念写真を撮ります。園内写真スポットナンバーワンの場所です。追手門前と同様、昔はカメラマンが多数おり、記念写真を撮っていたものです。園内で最も賑わう場所です。
「館神跡より天守と桜(2014.4.26撮影)」
弘前公園(弘前城跡)は1611(慶長16)年に築城され、広さが49万2,000平方メートル(14万9,000坪)あります。廃藩置県後に城は閉められ、当時荒れるに任せた状態であったようです。
その様子を見るに忍びないという元藩士により、桜の木が植樹されました。その後数が増えて、現在52種類約2,600本の桜を有しております。
ここ十年の間に弘前公園内で、いろんなことがありました。
大きいことは、弘前城天守の移動でしょう。写真を見れば天守が載っている石垣の下部中央が、少し膨らんでいるのが解ると思います。天守の移動は、下部の石垣の積み直しをするためです。
天守の移動に関しても弘前市は一つの行事として、天守の曳屋体験を催しました。確かに城の天守を曳くなど、ほとんどあり得ないことですから。
天守はしばらく元の場所から離れているので、写真で移動前の天守をご覧ください。
「本丸天守と岩木山(2019.4.27撮影)」
ここは曳屋した現在の場所で、本丸中央へ移動しました。構図はよく考えられており、天守の左側に岩木山が来るように、展望台も少し高めに作られております。予定では、2025年に天守は曳き戻されます。
この日も桜と天守を見に、観光客がひっきりなしに訪れておりました。
「これから夜桜(2014.4.27撮影)」昼の部最後の写真です。弘前公園向かいにある観光館敷地内からの撮影です。写真の場所は道路より数メートル高くなっており、弘前公園と岩木山がよく見えます。車も人も少し多めになってきました。夜桜の前哨戦と思われる、夕焼けの市役所前桜の一コマです。
◆弘前公園夜の桜
昔この近くに勤めており、毎年さくらまつりのシーズンには、公園内で夜桜見物をしました。酒・肴ほか、漫画を持つ人、ゲーム機を持つ人などさまざまですが、格好だけは皆さん一様に、防寒対策をしっかりしていました。考えれば少し異様な格好ですが、皆さんそうなので特に違和感はありませんでした。
「弘前公園外堀夜桜(2011.5.2撮影)」
夜桜見物もほとんどの人が、追手門から入園します。外濠の濠端ですが、この場所でまず写真を撮ります。この日は風もなく条件は良かったので、ご覧の写真が撮れました。
最近ではさまざまな国から観光客として訪れることが、珍しくなくなりました。私が昔から見ていた弘前公園の桜が、世界に認められていることはうれしいことですね。
「弘前公園二の丸大枝垂れ桜(2011.5.2撮影)」
2011年12月に大雪により「二の丸大枝垂れ桜倒木」と言う話があります。1914年に植えられたと記録にあり、雪の重量を支え切れなかったようで、市民にも親しまれていた大枝垂れ桜だけに、ニュースで聞いたときは本当にショックでした。
その後、市の努力により今では回復に向かっているようです。以前の状態に戻るにはまだしばらく掛かりそうです。
写真は2011年5月に撮影したもので、倒れる前の最後の写真です。同年12月に雪により倒木しました。
「本丸から岩木山(2014.4.27撮影)」
いよいよ本丸ですが、こちらは本丸西側から岩木山を見た写真です。ぼんぼりは私の写真では1つしか映っていませんが、公園の周りにはたくさんあります。 右端にぼんぼりがあり、桜、左側に岩木山が見えます。薄暮と言われる時間帯も雰囲気が出て良いものですね。
「館神跡から天守と夜桜(2011.5.2撮影)」
北の郭館神跡からの撮影です。写真スポットの一つですが、ここからの写真は皆さん憧れて撮る場所の一つです。場所は少し解りにくいのですが、私の好きな場所です。撮影場所は北の郭の館神を祀った神聖な場所で、昔は誰も入ることができない場所であったようです。
ここには歴史上のロマンがあります。館神社殿が、明治4年に解体された時に祠の奥から太閤座像が発見されたのです。この太閤座像は太閤が生前3体の肖像を作らせた内の1体と言われ、太閤から石田三成に与えられたのちに次男により弘前へ持ち込まれ、城内館神社殿の中に隠されたようです。
その社殿は、今はなく現在太閤座像は藤代にある革秀寺に保存されており、夏のはす池祭りの時期に公開され、革秀寺住職の説明付きで拝観することができます。
「桜の中の西濠(2014.4.27撮影)」
最後は西濠。手こぎボートに乗れる場所ですが、北側春陽橋付近からの写真を見ることが多いです。写真左側は桜のトンネルで有名です。右側にもトンネルはできているので、西濠を一廻りすることをお勧めします。
若い頃は手こぎボートに乗ったものですが、当時と比べておやっと思ったことは、救命胴着を着用していることです。これも時代かなと思った一コマです。
写真で思い出と共に、弘前公園と桜をご紹介いたしました。
※弘前公園の桜の思い出でした。補足として2019年に個人で撮影した動画のリンクを添付しますので、見ていただければ幸いです。
「弘前公園さくらまつり2019(園内桜)」
https://www.youtube.com/watch?v=I9orOimYcQY