voice移住者の声
100年続く市場を目標にUターン。戻って気づいた弘前の魅力
浜田大豊さん(はまだ たいほう)青森県弘前市出身
- 移住年
- 2021年4月
- 職業
- 株式会社生き活き市場専務取締役
高校卒業後、大学進学のため上京。大学卒業後は酒類販売専門の商社に就職し、仙台に転勤。弘前にUターンを決意する。
弘前にUターンするつもりはなかった
弘前駅前にある「虹のマート(正式名称 弘前食料品市場協同組合)」は、私の祖父が中心となって立ち上げた市場です。創設は1956(昭和31)年。まだスーパーマーケットなどがなかったような時代です。時代に合わせて形を変えながら「津軽の台所」であり続けました。
私は子どもの頃から繁忙期となれば、アルバイトで手伝うことはありましたが、父の跡を継ごうという考えは当時、残念ながらありませんでした。虹のマートの継承などということも考えたことがなく、むしろその逆です。「弘前には何もない」「おもしろくない」と都会へ早く出たいと思っていました。
大学は東京で経済学を学びました。卒業後にはアルコールの販売商社に就職。その時もまだ弘前にUターンなんてことは考えてもいません。仕事は充実し、何より人に恵まれ、学びの多い職場でした。しかし、商社という中間流通の仕事において、生産者と消費者をつなげる大事な役割があるとはいえ、どちらの顔が見えるわけでもなく、喜ばれるような声を聞く機会も少ないもどかしさはありました。
100年続く市場を目指して
Uターンのきっかけは、まさに流通の仕事について考えるようになってからです。「これからの商売のあり方は?」などと考え始めると、祖父の代から続いている「虹のマート」にもしかすると答えがあるかもしれないと感じるようになりました。市場として現在も続く「虹のマート」は、対面で接しながら旬の食材を販売しています。ネットやスーパーマーケットが流通の多くを占める中、「虹のマート」でしか得られない体験があると信じています。父は「継いでほしい」とは口にしたことはありませんでしたが、私がUターンすることに反対はせず、受け入れてくれました。
約10年ぶりに弘前で生活を始め、今まで何を見ていたのだろうという驚きの毎日です。魅力がないと思っていた弘前には、東京の人たちにも紹介したくなるようなモノがたくさんあります。何よりそれぞれのスタイルや考えを持ち、活動をしている弘前の人たちに憧れすら覚えます。弘前を出る前は高校生だったので気づくことができなかったのは当然だったのかもしれません。都会だろうと地方だろうと場所は関係がなく、人の魅力は変わらないと感じました。
虹のマートは創設から65年がたちました。100年続く市場を目標に、弘前で活躍する人たちと一緒に楽しく挑戦していきたいです。