voice移住者の声
「珈琲の街」ひろさきで器と共に地域に根付く

松原範幸さん(まつばら のりゆき)岐阜県多治見市出身
- 移住年
- 2005年6月
- 職業
- うつわ珈琲「豆人」オーナー
大学卒業後、就職のため渡米。弘前に移住するきっかけのひとつとなる弘前出身の菜緒子さんと出会う。帰国後は横浜へ、46歳の時に弘前へ移住。
独立した頃から描いた夢を実現できた街です
弘前は夢を叶えることができた街です。自分の店を持つことが長年の目標で、それが実現できたのが弘前でした。しかも好きな器(うつわ)で商売ができていることは、夢にも思っていなかったですね。
私の出身である岐阜県多治見市は日本でも有数の陶磁器生産地で、美濃焼が有名です。小さい頃から陶磁器などの器に触れる機会が多かったため、自然と器には慣れ親しんでいました。大学卒業後はアメリカに渡って器を輸入する会社に就職。地元とのネットワークを生かして約3年間、アメリカでさまざまな経験を積みました。帰国後は横浜にある商社で働きましたが、30歳の時に独立。孔子の言葉にある「男30にして立つ」を実践したわけではないですが(笑)
起業したのはやはり器を卸売する会社で、店舗はなく、従業員は私一人からのスタート。店舗を出すことにはまだリスクが多く、踏み出す勇気をなかなか持てずにいました。しかし、営業先で出合った家庭用のコーヒー豆に「これだ!」と思いつきました。弘前は日本で初めて庶民がコーヒーを飲んだ街とされ、「珈琲の街」と呼ばれる取り組みがあります。喫茶文化が古くからあり、カフェが多い街としても知られ、コーヒー文化がすでに根付いていました。家庭用コーヒー豆の需要が今後は伸びていくと自信もあったので、器とコーヒー豆を一緒に販売する店舗を弘前でオープンすることに決めました。今となってはその予想は当たっていた気がします。実際、器よりもコーヒー豆の方がメーンの店になっていますね。もちろんコーヒー豆はその時に出会った豆を今でも仕入れています。

みなさん明るく、生き生きしている人たちが多いです
弘前は20代の頃に初めて訪れました。妻の故郷だったため、少しはなじみのある街でしたが、最初は暗いイメージが強かったですね。雪の多い冬のイメージを持たせているのだと思います。移住し、店舗を構えると多くの人たちとお話しする機会がありますが、そんなことを払しょくするような、みなさん明るく、生き生きしている人たちが多いです。私のような部外者でも快く受け入れる風土が弘前にはあるのかもしれません。
今後の夢は店舗数を増やしていき、多治見市にあるような、器を嗜むような文化を弘前に根付かせたいとも考えています。趣味で始めたテニスも弘前でたくさん仲間ができて、続けられていることがうれしいです。弘前は自然が豊かでスポーツも気楽に楽しめる環境が充実している。そんなところも魅力の一つだと感じています。
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