voice移住者の声
夫婦で移住してイタリアンを開業。理想の店づくりと子育て
成田輝久さん・莉可子さん(なりた てるひさ・りかこ)埼玉県出身
- 移住年
- 2018年4月
- 職業
- 自営業
埼玉県出身の輝久さんと弘前出身の莉可子さん。埼玉・川越で飲食店を2人で経営していたが、移転を考えるようになり、弘前に移住。1年の準備期間をへて「ピッツェリアジーナキッコ」を開業させる。
移転先としての弘前を選択
東京で和食やイタリアンなどの飲食店で修業し、2010(平成22)年に川越で独立。「ピッツェリア ダ・アチラン」という店を妻(莉可子さん)と始めました。店はおかげさまで軌道に乗り始めましたが、移転を考えるようになります。当初からあった計画で、店が手狭で郊外の店であったため、もう少し川越の中心市街でやろうという考えでした。しかし、川越では条件の合うテナントをなかなか見つけることができません。妻の出産があり、子育てをする場についても考えるようになります。店は2017年6月まで営業しましたが、川越で新しい移転先を決めることはできませんでした。
そこで選択肢として出たのが弘前でした。弘前は妻の実家があり、私自身も浪岡にルーツがあります。テナント選びで最大の障壁になっていたのは、店のコンセプトである薪窯です。窯焼きのナポリピッツァにこだわっていため川越では難しかったのですが、弘前であればなんとか実現できそうな条件が整いました。母とは東日本大震災以降、一緒に住んでいたのですが、弘前に移住することに反対はせず、一緒に弘前に移住しようかと言っていたくらいでした。
移住して得られた新生活
初めての土地で不便さを感じるかもしれない不安はありました。妻も弘前生まれではありますが、高校からすでに弘前を離れているため、人脈があったわけではありません。ところが、ひろさきビジネス支援センターや弘前の税理士などに店の開業を相談しに行くと、次々と人や会社を紹介してくれるのです。街のフットワークの軽さに驚かされることもありました。開業に困ったことはありましたが、解決できる人脈をすぐに作ることができました。今では無事に店を続けることができ、コロナ禍で大変なこともありますが、弘前のお客さまに支えられています。
新天地での生活も順調です。子育てで不便を感じるようなことはありません。むしろ待機児童などの問題が弘前にはなく、子育てしやすいのかもしれません。四季の楽しみ方があり、休みの過ごし方も充実しています。夏は家の庭でバーベキュー。川越でのマンション生活では考えられません。弘前の中心市街に住んでいても車で移動すれば、豊かな自然にすぐ触れられることも今までの生活にはなかったことです。